過去から今日、今日から未来へ先人が残した言葉を贈ろう。 異なる文化と歴史の中で人類を繋ぎ続けた言霊のリース。 幾多の時代を超えて、ひとつずつ解き放つ。
 
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コトダマピース 20詩*『小さな手紙 』 
2008-01-22 Tue 23:50
『小さな手紙 』 

◆どこにかくれているの
 僕の君
 早くでてきて
 僕の人生のどの段階であらわれるの

◆近づいて近づいて
 ずっと近づいて
 君へ
 触れるほど近く
 そして
 そのくせ
 どこよりも遠い
 へだたりがあるように
 尊敬の気持ちで

 近ければ近いほど
 遠いところにいる人のように
 接することが大切で

 遠い人ほど
 他人ほど
 一瞬だけ出会う人ほど
 親しげに
 心をひらく

◆「どの時に 勇気がなくて、
 どの時に 手からこぼれ落ちて
 しまったのだろう」

 だれにもわからない。
 あるのはただ、今も
 もろくこわれやすく、時間のむこうで
 走って走ってふるえる月日。

 走ってとまって
 ふるえる月日。
 
◆悲しみなさい
 あとでむかえにくるから

 行きなさい
 あとで抱きしめてあげるから

 まちがったとしても
 あとで すべてを聞いてあげるから
 
◆気持ちがゆれていれば
 そこが旅の途上

 ありふれた景色でも
 異国情緒の夜景

 さえざえとした月の
 影をふんで歩く

 気持ちがゆれていれば
 そこが旅の途上

 あなた以外だれも
 みちづれはいらない
 
 アスファルトの硬い道も
 遊覧船のデッキ
 
 
◆矛盾に気付きそうになってる

 思ってることと行動が
 近くなるほど
 しあわせになっていくからね

 君の人生のしあわせをいのります


                        【銀色 夏生】

前略

元気にしてますか?
毎日、寒いね。
心身の具合など、いかがですか?

時々、メールってのはいかんせん日常に密着しすぎて、
本当は相手に届いているのかどうか判らない手紙のようなものってこと、
忘れてしまうよ。

信じすぎてるんだね。
送信する向こう側に必ず伝えたい相手が存在するんだって。
真意が伝わらない可能性の方が多いのに。
だから、届くといいな、このメール。

軌道がね、ズレることってあるね、人との関わりには。
出逢えたと思ったらね、また宇宙の片隅に一人放り出される。
それは自分の意思かもしれないし、そうじゃないかもしれなくて。

でも、また会いに行くんだよ。
何度でも。
そこに誰もいなくても。
約束なんかしてないけど、会いたいと思うから会いにいく。
それを私は繰り返してるよ。

あ、そうそう。
この前、久しぶりにMと会ったよ。
山のように積もった話はなかなか崩せなくて、
与えられた時間だけじゃ全然足りなかったけれど、
楽しみが次に持ち越されました。
今度再び、同じ軌道上に乗る日までのね。

ねぇ、最後に会ったあの日から、
ずっと君を探してるんだよ。
君の声がね、プツリと途絶えてしまったから。
あの時も少し、薄いガラスの膜のような心を揺らして、
脆弱な気配を見せつつ、下手に空騒ぎしてたっけね。
ごめんね。
あの時、私は知ってて、そのわずかなサインを見過ごしたんだ。

一体、どこに行っちゃったんだろうね。
Mも君の居場所は知らないって言ってた。
連絡もつかないってね。
また、一人旅に出てるのかな?
自分っていう、意識の更にもっと奥にある「最果ての秘境」目指して。
探検は終わるはずがないってわかってんのにね。
こっち側の世界にまた戻ってこれるかどうか、それすら危ういしさ。
でも、探さずにはいられないんだよね。
うん、それはわかってる。
君がどう思おうと、死ぬまで友達だから。
…って、笑うところじゃないよ。
今、ちゃんと神様に誓ったのに。

思えば、付き合い長いけどさ、
本当の君の芯に触れた回数なんて、全然大したことなくてさ。
だけど、少なくとも過去のある時点で同じ時間を共有して、バカなこと沢山して、
これ以上もないくらい、お腹を抱えて笑いあった日々があったよね。
あれは全部、幻だったのかな?
あんなにみんなで一緒にいて、本当はずっと一人孤独を感じてた?
もしそうなら、それって、正直ズルいと思う。
みんなはあのいつかは過ぎ去るはずの時間と場所に惜しまず心を預けて、
永遠に変わらぬ友情の対価にした。
だけど君だけが、心を支払わなかったってことになる。
そんなに信用できなかったのかい?
それとも、永遠って言葉に安っぽさを感じたの?
でも、残念ながら今だに続いてる。
君のいう薄っぺらい虚偽の関係が。
この調子じゃ、これからも続きそうだよ。
そのうち、嫌でもいぶし銀になる。


まぁ、でも君が帰る場所はちゃんと用意しておくよ。
だから、気が済むまで探して、見つけてきなよ。
今度はちゃんと。
君にとって、何が一番大切なことなのか、
君の見栄っ張りな心の叫びを誰に一番伝えたいのかってことを。

くれぐれも健闘を祈るよ。
でももう、過剰な心配はしない。
そんなの、お互い望んでることじゃないでしょう?
君を信じるよ。
ただ、それだけ。

では、またここに、君に会いに来ます。

                    かしこ
                    
追伸:
みんな、君と話したがってる。
どれだけ遠くまで逃げようとしても、
君という存在は、もう消せない。
それが君が求めている真実なのかもしれないね。
君はそこにいる。
単純だけど、確かにしっかり繋がってるよ。
この世界と、私達と。




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コトダマピース 19詩*『心象スケッチ』
2008-01-20 Sun 03:46
『心象スケッチ』

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつづけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです


                     【宮沢 賢治】


「2008年のあなたの運勢」というもの。
この年末年始を占った人も多いと思う。
普段はまるで興味がなくても、
この時とばかりは、日本古来の時期的な風習=お正月ムードに煽られて、訳もなく占う。
そして、妙に信じやすくなっている自分がいる。
お馴染みの高島易断や細木数子、江原啓之、鏡リュウジ、Dr.コパなどの派手な告知された年運特集でついつい診断してしまい、
「今年は大殺界です」
なんて書かれてあったら、
本当はどうでも良くて大して信じてないくせに、
仮に明日忘れてしまうことだとしても、
やっぱり何気に気になって、落ち込んだりしていないだろうか?

まあ、占いってのは過去何千年に渡り、
様々な国で、様々な人の手によって、
恐ろしく複雑かつ巨大な市場リサーチされた
執念の研究成果を元に体系化したもの。
いわゆる統計学の一種、ですから。
当たるも八卦、当たらぬも八卦、とはよく言ったもので。
そういうものだと思う、基本的には。


 今の仕事では「占い」という分野に関わることが多いので、
そのことを幸いに、この際思いっきり利用して、
実際、勉強というか研究というか検証というか、
そういう建前のもと、実のところは興味本位を大前提に、
あらゆる種類の占いで自分を診断してみることにした。

差し当たり、有名なものからマニアックなものまで、思いつく限り網羅する。
姓名判断、西洋占星術、ゲマトリア数秘術、カバラ、ルーン、タロット、
東洋の紫微斗数や四柱推命、陰陽五行、インド占星術…などなど。

そこから、果たして「自分」は見破られるのか?

この機会に、占いの力というものはどれだけのものか徹底的にやってやろうじゃないか、と無謀な挑戦を果たす。
それでもってやり過ぎて、
思いの外うんざりして、現時点ではもうすでに飽きているんだけど。

その結果。
率直に言うと、
どれをやっても、ほとんど同じ意味の結果が出ます、私の場合。
各自、占術や象意はまるで違うのだが、
もう、最後の方は「またか!」っていうくらい、
総合的に代わり映えのしない占断となりました。

そもそもどんなに有名な占い師や占星術家でも、
その占術自体には、
西洋東洋ともに共通の論理=ロジックが存在するから、
結論として類似した結果が導かれるのは必至。
あとは術者自身のカリスマ性や心理的アプローチ、巧みな話術、豊富な知識と経験などで
良し悪しが決まるものだと言い切ってもいい。
中には催眠術的なテクニックを使う人もいる。
事実、心理学や催眠術方面の研究も本格的な占い業には欠かせない要素であるから。
ちなみに占い師と占術家は違う。
占い師はたいてい感覚的というか、
いわゆる霊的、スピリチュアルな能力を持ち、
独自の占術で占断内容を補足していく類の人達で、
占術家とはもともと特別な能力があるわけではなく、
数ある占術を学術的かつ論理的に研究し、そのロジックをメインに使用し占う人達である。
後者は比較的男性が多く、占い&天文学マニアなタイプが多い。
細木数子なんかも本当はこっちなんじゃないかな?
ロジックを駆使して、半分以上は話術や人柄で攻める。
更に定かではないが、
とある専門家に言わせると、
彼女は19世紀辺りの古典的な催眠術を織り交ぜているらしいけどね。

それと江原氏のような霊能者によるカウンセリング?
いわゆるカルマだとかオーラだとか、そういう類の話は今回はパス。
それに関しては、また折りを見て見解を発表しようと思う。
話せば長くなるからね。
というか、いつも内容長いんだけど。

それにしても、姓名判断と生年月日はまったく違うだろう、と。
なんてったって数字と漢字ですから。
そう単純に考えた私は浅はかだった。

両者に関しても、ほとんど同義の意味合いが出現した。
悔しいがこの場合、
「そういう星のもとに生まれた」っていう固定的かつ束縛的な表現が正しいのかもしれない。
だからもうこうなると、
クドクドと説教のように何度も繰り返し占断され、
嫌味なほど導かれている方向に絶対行かないといけないような気分になって、
逆にプレッシャーというか、
何か俗にいう絶対に逃れられない宿命っていうの?
そういうのが本当にあるのかな…?とか思わざるを得なくなる。
それくらい、解かりやすかった。
診断は決して悪くはないんだけど、
総括的にこんなにもはっきり出ると、
なんだか悔しくて「このヤロー!」っていう感情が湧き上がる。
星は本当に知っているのでしょうか?
私が歩むべき運命ってやつを。

というか。
ここで、全て占い終えた後、何か見えました。
ある一つの大悟が。

ああ、なるほど。
「占い」とはすなわち、まったくの現実なんだと。
つまり、過去・現在・未来がすべて凝縮されている、
大げさにいえば、人生の縮図であるのだ。

語弊がないように、もう少しきちんと説明するならば、
今後の自分の方向性、そして生まれ持った本質などは、
実はほとんどこれまでの人生の中に明確に現れていたのだ、恐ろしいことに。
適した職業とか趣味趣向とか、叶えたい夢とか、
図らずも自分の意思で見つけたものが丸ごと夜空に浮かぶ無数の星の位置と、
そこから古来の先人たちが苦心して編み出した計算式に表れている。
腹ただしいくらいに。
物理学や数学の方程式が、未だ誰も見たことがなく、
前人未到の宇宙空間を緻密に計算するように、
占術っていうやつも、人間の生き様を巧妙に操る。
結局、自分はそこに示されたような所を、
知ってか知らずか自ら巡って体現してしまっているのだ。
いやいや、どこか思い込みってのもあるかもしれないが。

だから実際、自分が生きてきたことが示されるなら、
正直、占いする必要がない。
結局、全然関係ないな~と悟り…いや、ひらめきました。
要するに、思うように素直に生きることが、正しい占い結果の全てだと。
しかしながら、
それこそが、そもそも宇宙の定理に動かされてしまっているのだ!とあたかも人類を超越した存在、
すなわち神様や宇宙人辺りに言われたら、
もう反論の余地はありませんがね。

そういえば昔、藤原新也氏も取材で山の手線周辺の路上占い師を片っ端から巡っていたけど…
なんでそんなことしたかって?
私と同じく、占いなんかで自己分析できるかい!っていうのを証明したかったらしい。
恐らく、極度に猜疑心と好奇心がうずいたのでしょう。
そしたら、これがモロに返り討ちにあって、見事に惨敗。
彼もどれもこれもほとんど同じような診断内容で、
更に全体の八割方の占い師は本質を見抜いていたという。
しかもやっぱり今の彼自身の仕事や人生観に、
すべて直接繋がっている結果だった。

そうはいっても。
どこかでまだ定められし「運命」というやつに、
あらがってみたい衝動は、抑えられそうにない・・・
と、いう気持ちが自然と浮かび上がるのも、
星が導く、私の基本性質なのだそうだ。
ええい!うるさいぞ、占いめ!
詭弁は無用。完全に、メビウスの輪です。


次元の狭間で彷徨う魂達が、
生れ落ちたのは星と星の間。
孤高の光がそれぞれ集まり、幾重にも織り成すのは、
宇宙に無限に拡がる壮大なタペストリー。
そこに映し出された幾千もの多彩な輝きの中に、
人は、自分の生まれた意味を知る。

手をかざして、掴もうとする命の目印。
鳥のように羽ばたく光が、
私達を乗せた銀河鉄道を先導する。

たとえ目隠ししていても所詮、逝き先は同じ。
されど、生き方は千差万別で、まるで違う燐光を放つ、
互いの魂の存在を存分に触れ合って、感じ合って、確かめ合ったら、
溶け合うように一つになって、
やがてまた星へと還る。

ねぇ、どうか覚えていて。
あなたは紺碧の夜空に流れる、たった一つしかない美しい星。
私はいつも暗い闇に染まった天体の隅から隅まで観測して、
その宝石を探しているということを。

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コトダマピース 18詩*『ペルソナの鏡』
2008-01-11 Fri 02:56
『ペルソナの鏡』

私たちが認識できる限り、人間存在の唯一の目的は、
単に生きることの暗闇に火をつけることである。

人に苛つくことのすべては、
自分自身の理解に役立つ。

世界を創造するのは神ではなく、この私であり、
「私」の意識化という創造行為によって初めて、 
世界は客観的に存在するものとなるのである。

外の世界で、夢見ている人間は、
内の世界で、己の覚醒を見ている。

心の内側が意識されないでいるとき、それは外側に運命のように現れる。
意識の奥に隠されているものは、やがて運命として立ち現れる。

ある人に合う靴も、別の人には窮屈である。
あらゆるケースに適用する人生の秘訣などない。

私の一生は、無意識の自己実現の物語である。


                          【 カール・グスタフ・ユング 】


 また一つ新しい年が明けた。
無事に踏み越えた去年との境界線は、
まだその太さや形がぼんやりと陽炎のように残っているというのに、
もう、すでにまたいだ先の日常=仕事始めの日を早々に迎えてしまった。
今だ正月休みの人が多いと見え、
普段は騒がしい電車のホームもさすがに閑散としている。
人気の少ない地下鉄を、
何の気兼ねも無く、我が物顔で歩ける贅沢な時間。
毎年、この時期にしか味わえない、
本来なら人間の熱気が溢れかえるはずの場所で、
めったに人影が見当たらないという
この妙な優越感と独り占め感が漂う瞬間が、
私はすごく好きだ。

連絡口の長い通路の壁には、新年らしいポスターが張ってあった。
年齢がバラバラの有名な俳優の大きな顔が三つ。
一枚ずつ横に並び、手にしているのは、よく見知った缶コーヒー。
赤を基調とした、新春の華やかな広告だ。
『今、ここからがスタート』
そんなキャッチコピーに励まされながら、地上への階段を一歩ずつ上りつめる。

一刻も早く、と忙しく駆け上がる際にもl、
無機質なコンクリートの階段の壁づたいに、予断無く幾社もの広告ポスターがひしめく。
大都市の駅構内ならどこでも、
各企業のPR合戦が集中する最強激戦区を象徴する風景。

一通りの宣伝内容を横目で流しながら、改札口をsuicaでピッと通り抜ける。
その先にも大抵、巨大な商業用ポスターがあちこちで待ち構えているものだ。
あるものはこんな文言を書き連ねている。
「探そう!自分らしい働き方」
うん、そうねそうね、そういうの大事ね。
今、流行ってるもんね…
ん?アレ?
いや、ちょっと待てよ…流行??

ここで、急に今年最初の疑問が閃いた。
じゃあ、その「自分らしさ」って一体、何ですか?
 

近頃は、右も左も猫も杓子もぐるりと見渡せば「私」イズム。
「あなただけの…」「私らしい…」なんてキャッチコピーがどこかについてると、
たちまちヒット商品、
ちゃっかり儲かる商売になります。
ゲームにファッションにライフスタイルに「自分」をカスタマイズする時代。
ということはつまり、逆説的に置き換えてみれば「自分らしい」とか「個性」の定義が
実は案外できていないという証明にもなる。
そもそも自分らしく生きる術がしっかり理解できていたら、
このように、丸っきり付け焼刃的なメディアの扇動に
ぐいぐい押されることはあるまい。

「自分らしさ」っていう、曖昧かつ複雑の極み、
だけど表向きなんとなくパターン化して分類できるスタイルは、
どんどんマニュアル化し始めている。
よく考えるとすごい。
「自分」というスタイル作りが商売になるなんて。
食べ物や洋服を買う感覚で、他人の手を通してお手軽に「自分」をコーディネートする。

その延長線上で、ブログなんかも属するのかなって思ったりもするんだけど。

それはさておき・・・
「人生を変える」
「夢を叶える」
これはなんだか、夢がないと生きていく資格がないような、
あるいは夢を持っているということが確固とした生きる資格のような、
とにかく現状に甘えることなく、
人生を変えるように生きなきゃダメよ!っていう押し付けがましい無理やり感を、
最近は嫌でも感じてしまう。

ただ純粋に、自分にはやりたいことがあるというだけのことが、
何か崇高な事のように周囲には思われるのだが、
実のところ、そういう意志を抱いている人間より、
資格取らなきゃ、留学しなきゃ!という何か急に思い立ち、
漠然と言い出す人の方が大抵、
すんなり実現できるパワーがある。

これは単なるひがみではなくて、
何か夢を叶えるにもひどく真面目な優等生だな~って圧倒される節が多々あるのだ。
怠け者で面倒くさがりな私にはすごく羨ましい限りである。
が、しかし。
正直、良い子過ぎて窮屈そうだな、とも思う。

確かに効率がいいんだね。
ポイント押さえたノウハウとか飲み込みが早くて。

だけど、今の世の中でまがりなりにも商売化している「自分らしさ」というものは、
昔でいう複雑な哲学とか思想の体系はすっぱ抜いて、
手っ取り早く外枠だけでも具現化した者勝ち!
なんていう要素が目につくような気もする。

言い換えれば、「自分」も一つの消耗品。
どれだけエネルギーを放出するか、またはそれを社会にいくら注ぎ込むか。
自分自身を消費する時代。
これも資本主義から生まれたもの?

大量生産される「個性」という既成概念と既製品。
今日も誰かが仕掛けている、
「他にはないオリジナルでいるため」の見本。

「人と同じ生き方はしたくない」という、実はみんなが言ってる同じセリフ。
自ら踊っているつもりが、踊らされてたりね。
一見、個性的だと評されるあのボクサー選手とか、某有名タレントとか。
自分が作ってきたものと、誰かに作られたものとの折り合いってすごく難しい。
そもそも、自分の体に流れる遺伝子自体、自分で作ったものじゃあない。
父と母、そしてその後ろに控える祖先から受け継いだものだから。
私達の肉体はミトコンドリア遺伝子を運ぶ、ノアの箱舟のようなもの。
ま、このことはあくまでも私個人の究極論として、捉えてもらいたいのだけれど。

とにかく。
私達は毎日、そりゃあまあビックリするくらい色んな情報や物に左右されていて。
意識するとかしないとか関係なく。
カッコイイ人、キレイな人、頭イイ人、スポーツできる人…
憧れる対象も五万といる上に、
少しでも近づきたいっていう向上心も普通に持ち合わせている。
生まれてこの方、何にも影響されない人間なんてどこにもいない。
それは、人間はもともと慣習ありきの生き物だから。
いかんせん、脳から細胞から基本的に「習うより慣れよ」的な作りになっているせいで、
経験したことが無いこと、
つまり脳に一切記憶(データ)が無いものは絶対にできないのね。
そう考えると、
人間は記憶のつぎはぎ、いわゆるパッチワークで形成されているってこと。

それで、ね。
たかが一個体なのに、
科学や心理学やらを全力で駆使しても「自分」という人間像なんて、
そう簡単に作れるわけがないから、結局またふとした問いかけは自分自身に戻ってくる。
そうすると再び何度も辛抱強く、
同じ答えを探し続けるしかなくなる。
他人に押し付けられた取り組み方法ではなく、別の違う方法で。
つまり、自分が。
そして、あなたが。

「それで君はオリジナルなのか、ダミーなのか?」
その感覚すら、実際のところ危ういわけで。
こんな情報過多な世界に棲んでいたら、
誰だって混乱するよ、「自分」って人間が本物かどうか。

だから、いかにも商売めいていて、
軽くて安っぽい「自分探し」にまどわされるな。
優しげな自己啓発なんて、大きなお世話だ。
自分の内面を掘り下げていくのは、本当はすごくすごく苦しくて辛い。
気が遠くなるほどの失望と挫折の連続と、
孤立無援の真っ暗闇の過程を通り抜けなければ、
光の宝石を見つけられない。
前人未到の深海に沈んでいくような、
潜在意識へのダイブは思いのほか勇気がいるし、
得体の知れない不安も伴う。
それはもはや古臭いやり方で、
時間がかかる職人技な部分があるかもしれないのだけど、
このブログで何度もいうように、
結局、そういう所に帰結することって多い。
多分、人間に染み付いたやり方っていうか、さ。
理由はよくわからないけれど、本能的感覚で感じる分野だと思う。
自己を追求するのは。


そして、今日。
冒頭の缶コーヒーのポスターの前を通り過ぎた時、
思わず足を止めてしまった。
事態は思いもかけない形で異変していた。
よく見ると、俳優三人のうちの一人の顔がない。
その部分だけ、輪郭をなぞるように何者かにカッターナイフで丸く切り取られていたのだ。
そこにあるはずの顔がないということ。
それは、不意に当たり前に存在すると認識している「自分らしさ」を探し過ぎて、
反対に自分を見失ってしまった人間の姿を物語っているような気がして、
背筋が凍る想いに駆られた。
その顔の主が誰だったのかは、
いくら考えても思い出せないのだけれど、
一体、何処に行ってしまったのか…
そのことだけは、こうしている間も胸に残る。

この不可解な戦慄の中で、嗅ぎ分けようとしたのは、
これがもし、大切なあなたの顔だったら。
私はきっと、取り返しに行ったはず。
誰が切り取ったか判らないけれど、
それはこの世でたった一つしかないものだから。
同じような似たものが沢山あるけどね、
私は見極められるよ、絶対に。
あなたが浮かべる微笑みの、
一瞬一瞬が放つ無限の美しさを誰よりも知り、
そして、失いたくない。
何故ってそれが、紛れも無い「あなた」でしょう?

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