過去から今日、今日から未来へ先人が残した言葉を贈ろう。 異なる文化と歴史の中で人類を繋ぎ続けた言霊のリース。 幾多の時代を超えて、ひとつずつ解き放つ。
 
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コトダマピース 24詩*『蒼き天辺で生まれた光』
2008-05-03 Sat 04:09
『蒼き天辺で生まれた光(クリアーライト)』

チベットの村境の山道を、中年を過ぎたラマ僧と、彼の弟子の小坊主が歩いていく。
彼らはたった今、死者が出た家で、死人をバルドに送ってきたばかりだった。
≪注:バルド 生と次の生との間の中間的状態。チベット死者の書は「バルド・トドゥル」と言われ、死者の意識は、死後バルド(中有)世界に入ってゆき、さまざまな体験をする様子が詳しく書かれているもの。トは聴くこと、ドルは解放をもたらすこと。チベット僧は死者の耳からお経を唱え、死後の肉体から魂を解き放つ≫

老僧「人は百年も立たないうちに死んでしまう。
    長寿を得たものも、確実に死んでいく。
    かたちあるものは、滅びを向かえ、
    集まったものは散り散りになっていく。
    空に生まれ、空に死んでいく。
    人は皆、私やあなたも、この現象世界のどこにも、
    羽根を休める足場をみいだすことのできないまま、
    宙に舞い続ける蜂のようなものだ。
    財産や、家族も、肉親の愛情も、死のときには何の役にも立たない。
    あなたはそれをすべて捨てて旅立つのだ。
    だから、私達が生きているうちにすべきことは、
    自分の心を成熟に向かわせるだけなのだ。
    そのことの重要さが、誰にも訪れる死の時に、わかる」
   
小坊主「では、生まれてくることは、喜びではない、というのですか?」
老僧 「死ぬことがたんなる悲しみではないのと同じように、生まれることは、
    それだけで喜ばしいものではない」
小坊主「では、私達、生まれてきてしまったものの生には、意味がないのですか?」
老僧 「生と死の向こうにある、心の本質を知ることができたら、
    その生には意味があったということになるし、それができなければ、
    無意味なことを積み重ねたことに過ぎないだろう。
    お前は何も知らずに生まれてきたが、今は生まれてきたことの意味を、知り始めている」
    
小坊主「生まれること……死ぬこと……」
老僧 「お前にいい言葉を教えてやろう。インド人が考えたものだ。

     誕生の時には、あなたが泣き、
     全世界は喜びに沸く。
     死ぬときには、全世界が泣き、
     あなたは喜びにあふれる。
     かくのごとく、生きることだ。
    
     さあ、行こう 」 
    
二人はゆっくりと、荒れ果てた山道を歩いていく。
頭上には真っ青な空がひろがっている。

               
                【中沢 新一~三万年の死の教え~】


【終わりなき魂の詩(うた)と理(ことわり)~第4章~】

~チベット回想録②~

これは、あくまでも個人的なチベット体験記である。
「輪廻転生」という大きなテーマについては、
この先色んな章で、おいおいまとめていきたいと思う。
しかし、これから2章に渡って書き出す話は、
私が今後まとめていきたい論点の、
『予兆』となる内容であるのかもしれない…
   
 *** *** *** ***

チベットに行ったのは随分と遠い昔だ。
もうどれくらい立つのだろう。
学生の頃、友人Mに夏休みの間にどこかに長旅に出かけようと言われたのがきっかけだった。
どうせ行くなら変わったところがいいねということで、
いきなりMが「じゃあ、チベットで!」と無謀な思いつきで言い出したのだった。
どうやら、当時見た映画の『セブンイヤーズ・イン・チベット』にえらく感化されたようなのだ。
私にとって、その時が初めての海外旅行だったけれど、
特に迷いも不安も反論もなく「いいよ」とあっさり答えてしまった。

そして何故か、私がチケットの準備やら全てまかされてしまい、
当時の旅行会社の人に
「残念ながら、チベット行きは渡航手段が日本からは取れないので、現地で直接お願いします」
と、超アバウトなことを言われ、仕方なく中国で何とか取得する羽目になった。

私達がチベットに行くことを、とある友人に話したら、
「じゃあ、藤原新也の『西蔵放浪』って本、持ってきなよ」と言われたのが、
実は藤原新也との初めての出会いだった。
この時以来、随分と彼の思想にはお世話になるのだが…
それはさておき、
まずは中国へ入国し、チベットに向かう手段をあれこれ探し回った。
当時はまだ青蔵鉄道は開通していなくて、
それ以外で交通手段といえば車かバス、もしくは飛行機ということだったが、
中でも、
バスやランドクルーザーでの山越えは体力的にかなりキツイという話を聞いて、
無難に四川省の成都から、飛行機で行くことにした。
チベットに辿り着くまでにも、中国で色んな紆余曲折はありつつ、
やっとこさ到着したチベットで、見切り発車の友人は高山病で即ダウン。
三日ともたずに「中国に帰る!」と言い出し、
またしても私が現地の旅行会社で飛行機のチケットを取りに行ったら、
哀れな友人と同じように、着いた瞬間に高山病で苦しむ人々が後を絶たないらしく、
物見遊山的な観光客は、我先にと帰りのチケットの奪い合いを繰り広げていた。
おかげであいにく2ヶ月先までsold outを食らい、
それでもなんとか交渉して粘った挙句、
奇跡的に翌日のキャンセルチケットが1枚入手できた。
しかし、そんな苦労の末に手に入れた貴重な1枚は、
病にふせって死にそうなMにしぶしぶ譲渡しなければならなかった。
「もう満足です!」とたった三日でさっさと中国に下山していく友人とは、
2ヶ月後に某ゲストハウスでの再会を約束し、しばし別れて一人になった。
それでも、すぐに他の旅行者達と仲良くなったので、
一緒に日本円で1泊約100円のゲストハウスで寝食を共にすることができた。

だが、今思い返せば、あの生活はもうほとんど修行としかいいようがなかった。
観光するところいえば、いくつもの山々に散在する寺院巡りくらいで、
チベット料理はメチャクチャ質素で不味いし、
高山病のおかげで絶えず頭痛がおさまらず、
加えて食べ物に当たったのか、胃腸の調子がおかしくなったので
ミネラルウォーターしか体内に入れることができない。
さらに当時チベットは雨季だったので、土砂崩れが頻繁に起こり、
あまり動き回れないというまさに陸の孤島、何もかもナイナイ状態。
それでもまだ救いだったのは、
様々な国から来た旅行者やチベット人が皆すごく温和で優しかったこと。
しかしそんな温厚なチベット人でも、すでに当時からも中国人に対しては敵意むき出しで、
国籍を問わず、誰にでも親切なチベット僧でさえ、中国人とはあまり関わりたがらなかった。
とはいえ、同じアジア人の日本人には格別によくしてくれた。
チベット僧はたいがい、英語と中国語が話せて、
その上日本語も勉強している人も少なくはない。
何故なら「日本人はチベット人と同じ仏教徒だから」と微笑んで答えてくれたが、
現代の日本人はほとんど形式的な儀式以外、仏教の心得などに触れる機会がないので、
その言葉に胸が痛い思いをしたのは、今でもよく覚えている。

チベットに着いて一週間目に、すごくショックな話を聞いた。
区都ラサは『セブンイヤーズ・イン・チベット』のロケ地だとずっと思って期待していたのに、
実はあの映画の撮影現場は南米で、
しかも役者はチベット人ではなく、
現地のインディオ系の人達をエキストラにして撮ったものだったらしいということ。
どうりで、景色がまるで違っていた、とチベットに着いてから気がついたのだった。
そして、そこでふと思った。
「私は一体、何のためにチベットに来たんだ??」と。
この旅の最大の目的は、もうすでに無くなったじゃないか!

とはいうものの、向こう見ずな旅のきっかけはただ単に無知な私を
まんまとチベットにおびき寄せる甘い蜜のようなものだった、と今では心底思う。

私が主に生活の拠点としていたラサという町は、
何しろ富士山の頂上とほぼ同じ高度である。
それ故、一日の間で天候の変化が激しく、
空から降り注ぐ直射日光が日本の地上のものとは比べものにならないほど強烈で半端ではない。
この恐ろしいほど痛々しく照りつける太陽の紫外線のおかげで、
日増しに顔や体は異常なくらい真っ黒になって、皮膚はやけど寸前の状態の中、
次第に外国人には現地人と間違われるようになった。
気がつけば、自然とチベットに同化しつつある自分…
時々、出逢う日本人と日本語で会話しなければ、
自分が日本人であることを見失いそうな感覚だった。
そしてそれ故にふと考えたのは、
日本人としての自分とは一体何ぞや?と。
現地に行って、まるで役に立たなかった地図や地球の歩き方はその場で全部捨ててしまったが、
ただ藤原新也氏の本だけはバイブルのように持ち歩き、
静かに己と対峙する、そんな日々をずっと過ごしていた。

毎日、朝起きたら町中を散歩するのがもはや日課となり、
歩き疲れたら、カフェテラスや寺院のそばで座り、
行き交う人を見ながら、時に声をかけてたわいもない会話をする。
そんな穏やかな暮らしが心の安寧をもたらす。
日本での忙しない生活から一時開放されて、
飽くことなく見つめ続けたものは、異文化の静かな躍動。

町の中央にそびえ立つポタラ宮殿の前は、
まるで天安門広場のようなただっ広いコンクリートの石畳が敷かれている。
その上で、現地の人々は輪になってただ平和に編み物をしたり、
ヤクの乳から取れたバター茶をすすりながら、談話をしていた。
だが、ある寺に保管されていた20年ほど前の写真を見ると、
ポタラ宮殿の前には大きな湖が写っていて、
「これは何?」とお坊さんに尋ねたら、
「ここにはかつて私達が愛した美しい湖があったのですよ」と意味ありげに答える。
つまり、この広場は後に中国人によって丸ごと埋められた、というわけである。
ここで一つの古い文化は他の文化によって消されてしまったのだ。
悲しいことに歴史というものはいつでも人の手によって、
繰り返し塗り替えられていくのだ。
それを知ったところで、
過去の時代にはもう後戻りできない私達はただ時間と共に進み続けるしかないのだろう。
古き良き時代と開拓精神の狭間。
あの時、ふと感じたような矛盾は今でも際限なく私を襲う。
あまりにも無力で無知であることを。


長いようで短いようなチベット生活の終わりに差しかかった頃、
ラサからバスで半日ほどかかる山合いの僻地にあるという寺院へ行こうと誘われた。
当然、何もすることがない私は退屈をまぎらわすために、
他の旅行者と一緒に出かけることになった。

あと1週間でチベットを立ち去ろうとしている私は、
まだ本当の答えを見つけられずにいた。
この時、私の心でグラグラ揺れていたのは、己の真の居場所だった。
本当は日本を離れようと真剣に考えていたのである。
私にとって、日本って何だろう?
たとえ多くの友達や愛する人々がいるとして、
それはそれ、そうした自分ではない他人の肩にドカっと全身もたれかかることはできない。
どこにいても自分の足で立ち続けなければならないのだ。
そうした揺るぎない立ち居地のようなものが、日本にはないかもしれないと決めかけていたのである。

チベットでは、いくつものも寺院を見て回ったが、
この名前は覚えていない寺院は比較的小ぎれいな内装で、
位の高い中年僧が子供の僧達に教えを説いているところを見せてもらった。
チベットでは一家に一人は必ず僧になる。
そのため、僧の数が多くて、どの寺院でも僧が溢れかえっている、と当時はそのように聞いた。

寺院の近くには小ぶりな岩山があり、そこには色とりどりの旗のような布をヒモで吊るしている。
タルチョと呼ばれる、それはまるで日本でいう神社の神木などに巻く神垂(シデ)のようなものだ。

ゴツゴツした岩の丘から見下ろした先には、極めてのどかな田園と高原が広がっていた。
この頃、チベットはもう秋の入り口に差し掛かっていて、
ほとんどの地域では稲刈りが済み、あちこちで稲穂を束ねた鎌倉のようなものができていた。
ヤク(という牛科の絶滅危惧動物。チベット高原でしか生息していない)があちこちで牧草を食(は)んでいる。
なんて平和なんだろう。
もうこんな景色は日本の田舎にも存在しないかもしれない…
そんなふうに思わせる悠々とした、ただっ広い大地が眼下に広がる。

心地よい風と太陽と、どこまでも続く天空と地平線。
他にはもう何もいらないな…
そう感じた時、ふと心に浮かんだもの。
「でも、ここは私の居場所じゃない・・・
 まだ日本でやり残したことが沢山ある」
そんなふうに悟ってしまった。
いや、これこそが「本物の悟り」ってやつなんじゃないのか?と思うほど、
全身の力が抜けた状態で、ごく自然に内側からふっと湧き出てきた想いだった。

本当はどこかで気づいていたのだ。
「立ち居地なんてどうでもいい。」
いや、そもそもそんなもの初めから存在しなかったのかもしれない。
何故なら、私達人間は絶えず変化し、流れていくものだから。
そして、あの険しい岩壁の丘で、ふっと開けたように感じ取ったものがあった。
そうだ、ここではない。
私がいるべき場所は、こうした外側の異質な文化の中ではなく、
まだ日本の中にあるのだ、と。
私の中の魂がその時初めて、求め続けた答えを見出した。
一瞬、頭の中がハジけるような、軽い目眩(めまい)。
目の前で光があちこちに乱反射する。
気づけば自然と空を見上げていた。

そこにある深遠なる群青の蒼穹(そうきゅう)に焦がした瞳は、
地上の世界では見たことのない、空の青さと高さを知った。
手を伸ばせば、地上からはずいぶん遠い宇宙も、ほんのすぐそこにある気がする。
そこにいるだけで、大きな空を見上げるだけで本当に崇高なものを感じることができる、
ただただ深いインディゴ・ブルーの突き抜ける青。
そして、その奥から降り注がれるのは銀のナイフのように研ぎ澄まされた強烈な光。
崑崙(こんろん)という場所に住む人々が、心濁らすことなく呆れるほど純粋に、
神様が本当に存在すると信じるのも無理はないな、と思った。
ひっそりと神聖化された、名もなき土地。
そう、ここでは私自身も有象の形を失くして、
ひたすら時空を流れる一筋の光になる。
それはきっと、私だけじゃない。

この先向かうところ、
どこに行っても、きっと限界はない。
自分の心に鍵をかけなければ、
羽ばたこうとする創造(クリエーション)を、臆病な鎖でがんじがらめにしなければ。
小さな胸に溢れたのは
空の果てまで続く、極彩色の大きな夢の数。
あますところなく想い描いたら、
空に向かって、訳もなく思いっきり叫んでいた。
「タシデレ~(こんにちは~)
 トゥジェチェ~(ありがとう~)
 カレシュ~(さようなら~)」
現地で覚えた言葉はたったのこれだけ。
でも、今この気持ちを伝えるには、この三語に尽きた。

こんにちは、新しい自分。
ありがとう、今の自分。
さようなら、過去の自分。

こうして長かったチベットの旅も、いよいよ佳境を迎えようとしていた・・・

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