過去から今日、今日から未来へ先人が残した言葉を贈ろう。 異なる文化と歴史の中で人類を繋ぎ続けた言霊のリース。 幾多の時代を超えて、ひとつずつ解き放つ。
 
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | top↑
コトダマピース 11詩*『縁ありき道標(みちしるべ)』
2007-11-24 Sat 16:06
『縁ありき道標(みちしるべ)』

 
◆ 小才は、縁に出合って縁に気づかず。
  中才は、縁に気づいて縁を生かさず。
  大才は、袖すり合った縁をも生かす。

                             【 柳生家の家訓 】

◆ 縁ある人 万里の道を越えて 引き合うもの 
縁なき人 顔をあわせるすべもなく すれ違う

                             【 中島みゆき 】


何気ない日常。
私達はしばしば、そこにあふれているものを見落としたり、あるいは気づかないふりをする。

特に「縁」というものは。
土地に人に言葉に物に、目に見えずとももれなく宿り、接触した我々との相互間で発生する引力のようなもの。
「縁」という名の言葉の中に、この世で生じる事象の全てに、自分との関わりを見出して感謝する。
他国には存在しない言葉。
文化が異なる外国人に説明するには、一言で表現しがたい感覚を持つ、不思議な日本独特の文化である。

この「縁」、じつは神様にもあると知ったのは、東京に来る前、まだ京都にいた頃だ。

その頃、アルバイトしていた店に神棚が奉ってあった。
誰を奉っているのかと、店主に尋ねると
「スサノオの命(ミコト)」だという。
スサノオといえば、京都の八坂神社の祭神である。
京都では通称、牛頭(ごず)天皇とも呼ばれる、非常に強力な神様だ。
「あんたの産土(うぶすな)神は誰や?」
突然、そう訊かれて、「え?産土て何ですか?」と間抜けな返答をしたのを今でもよく覚えている。
「産土いうのはな、あんたの生まれ故郷を守っとる神さんや。小さい頃にお宮参りしたやろ?あれは、一種の神様との契約でな、そこの神さんがあんたの一生を担当してくれる守護神なんやで。」

つまり、産土(うぶすな)とは、神道の全国八百万(やおろず)いる神様が、最初にお宮参りをした際に、この世に生まれた子の、死ぬまでの守護神となるそうである。
しかも、その子供が大人になって、地元を離れても、その行く先々でも、きちんとそばにいて守ってくれるらしい。
 それが、一番わかりやすい形となって現れるのが神社なのだそうだ。
守護神は祭主かもしれないし、その横に別格で祭られている神様も含まれる。
そもそも、別格で奉られている神様達は、その神社の祭主と兄弟や親子関係やらで「縁」のある方々なので、おのずと系統が似てくる。
 要は、神様にもグループ分けが存在するということで。
例えば、全国でよく見かける稲荷社とか八幡社などは、元を正せば、伏見稲荷大社なり、宇佐八幡宮しかり。神様の世界にも大きなネットワークがある、というわけだ。
 だから、たとえ守護神自らが守れなくても(本人の近くに守護神の神社がなかったり、あるいは神事にお忙しかったりという理由で)、その守護神に縁のある神様が代わりを務める場合もあるという。
そういう過程の中、日本人は生まれながらにして、多くの神様に引き合わされる。
とにかく、お宮参りとは実は、そういう神様との縁を契る儀式なのだと初めて知った。

「ほんで、あんた、どこ参った?神社の名前いうてみ。それで大体神さんの系列がわかるもんや」
「はぁ・・・確か、鹿島神社やったと思います」
「ほぉ~、鹿島さんかいな。そりゃ、えらい神さんやけど、その神さんがあんたの守護神とは限らんで。今住んでる、近所の神社回ってみ。あんたのホンマの守護神がわかるやろ。あんたに縁のある神様は必ず近所の神社にいらっしゃる。そういうふうに、人間知らん間に導かれとるもんなんやで。それより、一回実家帰って、祭神確かめた方がええな。」

鹿島神社?神様?・・・何のこってすかい?

 そう訝しげに思いつつ、近所の神社を確認したら、春日神社があった。
そこの祭神はタケミカヅチノミコトとアマノコヤネノミコトだった。
タケミカヅチは、茨城県の鹿島神社から分霊されたと書かれてある。
確かタケミカヅチは、実家の鹿島神社の祭神だった気がする。
それで「近くに春日神社がありました。やっぱり、タケミカヅチなんでしょうか?」
と報告したら、
「う~ん、そう短絡的に考えたらアカンな。確かに橋渡ししてくれてるんやろうけど、ホンマにその神さんが、あんたにずっとついて回ってくれとるんかな?
それにな、産土神っちゅうもんは何も神社に名前がある神様だけやないで。
神社いうもんは、人間が後付けして建てたりするもんやからな。もともとその場所の、たとえば神木に宿っとる名のない神さんが、守護霊になったりしはるんや。どっちにしろ、人間には皆、守護霊さんがおる。ありがたいこっちゃで。まぁ~、この先、だんだんわかってくるやろ。あんたの行くとこ行くとこで気ぃつけてみなはれ」
店主はそれ以上、語ることはなかった。
だからこそ、すごく気になった。
気になって気になって、わざわざ実家の鹿島神社まで調べに帰った。
久方ぶりに訪れた鹿島神社で、早速、祭神を確かめる。
タケミカヅチ、スサノオ、アマテラス大神、応神天皇。
う~む・・・さっぱり、わからん。

そう頭を抱えて嘆きつつも、一度乗りかかった船である。
ここでうやむやにするのも惜しい気がしてならない。
それで手当たり次第、古事記や日本書紀やら読みまくり、神さまの系譜を頭に叩き込んで、はては伝説の域にあるフトマニやホツマ伝まで行き着いた。
しかし、収穫があるような無いような・・・
ゆめゆめ行き過ぎて、すっかり歴史の深みにはまってしまい、どうにもこうにも迷ってしまった。
イカンイカン・・・シンプルに考えねば。いったん最初の場所まで戻ろう。

自分がこれまで足を運んだ神社をおさらいしてみる。
確かに色んな神社は行ってみたけれど。
人生の節目節目で、気になった神社は・・・
鹿島神社→春日神社。
なんかものすごく抜けてる気がするな。
あ、そうだ。
京都に来たとき、一番最初に八坂神社に参ったんだっけ?
確か受験前で、東京の大学に受かりますようにと頼んだら、そのまま京都に引きづられて・・・
スサノオといえば、八坂やら出雲といった土地と根深いという印象が強いが、実は元来、熊野の地で生まれ育った神である。
そういう意味では、紀州の地を故郷に持つ私とも縁が深いとも言える。
しかし。。。

 その後、春日神社のあった場所から、同じ市内の別の区に引っ越した。
この頃から、妙に神社の存在が気になり出して、目に留まる神社は皆調べてみることにしていた。
新しく引っ越した家のすぐ目の前に小さな神社があった。
そこにはスサノオがいた。
また、スサノオ。なんかつい気づけば、何処行ってもこの方がいらっしゃるような。
そもそも、京都は八坂神社が母体になってるから、この方から逃れる術はナシなのか?
いやいや、神様は他に総じて八百万もいるのだよ。
その上、京都には色んな神様を祭る神社が五万とある。
それなのに・・・

京都は私にとって、楽しい思い出以上に、厳しい修行の場だった。
ここから逃げ出したいと思っても、いつもいつもタイミング良く(?)邪魔が入る。
一度、足を踏み入れると、二度と抜け出せない空気が漂っている。
 無論、あくまでも私にとっては、という話だが。
だから、京都と縁を結んだきっかけがスサノオとするならば、その時の私の心境としては、この上もなく迷惑な話に思えてならなかった。
八坂神社なんかで手を合わせて、拝むんじゃなかったな。
ずいぶん罰当たりな発想である。
『自ら望んで京都に来たわけじゃない』
当時、私の心を占めていた感情は、そんな浅ましいものだった。
だからこそ、スサノオは私を許してくれなかったのだろう。
「身に起こる不幸な出来事を、誰かのせいにしても、何の解決にもならない。」
それを辛抱強く教えようとしてくれていたのかもしれない。
だけど、私はわかろうとせず、また誰かのせいにしようとしていた。
『スサノオの呪い』
私は密かにそう名づけた。
恨めしい想いと行き場のない怒りを込めて。

そして、スサノオがいる神社にたびたび赴いては、こう願った。
「早くこの街から、私を解放して下さい!」

そんな性懲りも無い祈りが通じたのだろうか?
スサノオとの関係にも、ついに縁が切れるかのような出来事が起こった。
祇園祭が近くなった、夏のある日のこと。
上記とは別のバイト先で、八坂神社のお祓いを受けることになった。
お祓いといっても、京都の商工会が各店に配っている人形(ひとがた)の紙に、名前と願い事を書くといったものである。
そして、一ヶ月にも渡る祇園祭が終わる頃、八坂神社で人形を焼き、本人の代わりにお祓いをする慣わしなのだそう。
長いこと、京都に住んでいて初めて体験するものだった。

しかも、また八坂神社か。おのれ、スサノオめ。
そんな想いが、人形に自分の名前を書き込んでいるうちに、なんだか急にばかばかしくなって、笑いがこみ上げてきた。
『今まで、ずいぶん貴方を拒んできたけれど、こうして出逢いを重ねるのは縁がある証拠かな?それなら、それでいいや。だけど、私の夢を壊そうとはしないでね。
私はこれまで、たくさんの間違いを犯したのかもしれないけれど、夢を描くことに罪はない。そのことだけは、許して下さい。』
今ここで、人形を身代わりに焼くのは、己の煩悩の一部。
祓いたまえ、清めたまえ。
その時初めて、スサノオによどみない素直な気持ちを言えた気がした。

それからほどなくして、突然東京行きが決まった。


東京に出てくる直前に、改めて八坂神社を訪れた。
感謝の念を伝えるためだった。
暮れゆく夕日を背に受けて、境内におわしますスサノオと、面と向かって挨拶をする。
心は未だかつてなく、晴れ晴れとしていた。
最後におみくじを引く。
「神風の八坂の郷とけふよりは 君が千とせとはかりはじむる
(八坂の神の御かげを受けて、永代(とこしえ)に栄えゆく第一歩を今日より始めるというめでたいおさとしです。)」
よし、これで、京の都のスサノオともおさらば。
とにかく、これまでありがとう。
これからはあなたのお力の及ばぬ場所で、頑張って生きていきます。
そう誓って、京都を後にし、意気揚々と東京へ出てきたのである。

 上京してきた新居がある町で、もはや恒例となりつつある近所の神社探しをする。
さっそく見つけたのは、氷川神社であった。
これは関東最大の力を持つ、ここら一帯ではとても有名な神社だという。
さっそく、参って挨拶をする。
さて、今度はどんな神さまなのかしら?
心躍らせ、確かめるやいなや、予想もはるか唖然とした。
祭主はなんと八坂神社から分霊したスサノオだった。
これはまぎれもなく、『スサノオの呪い』、第2章??
もうここまできたら、笑うしかなかった。
ひょっとして、愛されてるのか?
さもなくば、私が無意識に慕っているのだろうか?

私はスサノオと縁を切ったのではない。
京都と、そこに住むスサノオの手を離したに過ぎなかった。
新たな土地で縁を結んだのは、またしてもスサノオだ。
まったく、どこにでもいるんだね。お互い、古い付き合いになりそうだ。
こうなったら、死ぬまでよろしく頼むよ。
親愛なるスサノオさん。


そして、現在、赤坂にある会社の近くには日枝神社がある。
穏やかな陽だまりが心地よい午後の空き時間に、ふと思い立って訪れてみた。
祭主は大山咋神(おほやまくひのかみ)。
けれど、横にあるサブ祭主を確かめてみたら・・・
やっぱり、いました。スサノオ様。
しかも、出雲からではなく、わざわざ八坂神社から分霊されているのね。
やはり、あなたが、ここへ導いてくれたのですか。
でも、もう嫌な気持ちはしませんよ。
むしろ、すごくたのもしい限りです。
どこに行っても、ちゃんと見守ってくれてるんだね。
今日も感謝の意を込めて、本当にありがとう。

このことは、多分私だけに起こる現象ではないと思う。
きっと、皆、知らない所であなただけの神様に守られているはずだ。
産土から始まって、この際確かめてみてはいかがでしょう?
偶然を超えた不思議な縁に出逢えますよ。


先急ぐ足を、時に立ち休ませ、振り返ってごらんなさい。
その背後には、過去を刻む道のりと、生まれてこの方、いかなる歩みをも共にした
守護なる神の微笑みがある。
忘れなさるな。
何時いつの世も、あなたを支える大きな力が存在することを。


スポンサーサイト
別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<コトダマピース 12詩*『友情の極意』 | コトダマパズル~幾億年の鼓動~ | コトダマピース 10詩*『月光と海月』>>
この記事のコメント
top↑
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら
top↑
| コトダマパズル~幾億年の鼓動~ |
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。