2008.07.24(Thu)
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2008.03.22(Sat)
『走る体、転がる意志』
わたしは、今宵、殺される。 殺されるために走るのだ。身代わりの友を救うために走るのだ。 走らなければならぬ。そうして、わたしは殺される。 若いときから名誉を守れ。さらば、ふるさと。 若いメロスは、辛かった。 幾度か、立ち止まりそうになった。 えい、えいと大声を上げて自分を叱りながら走った。 斜陽は赤い光を、木々の葉を投じ、 葉も枝も燃えるばかりに輝いている。 日没までには、まだ間がある。 わたしを待っている人がいるのだ。 少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。 わたしは信じられている。わたしの命などは問題ではない。 死んでお詫び、などと気のいいことはいっておられぬ。 わたしは、信頼に報いなければならぬ。 今は、ただその一事だ。 走れ、メロス! 【太宰 治〜走れ、メロス〜】 【終わりなき魂の詩(うた)と理(ことわり)〜第2章〜】 今、東京ではもっぱら「走ること」が流行りなのだそうである。 この冬は各地のマラソン大会が大盛況だったようだ。 メタボや美容対策として、政府や企業が諸手を挙げて功を得た様子。 そして、各地でマラソンにランナーとして参加する以上に、 街頭で閲覧する人の数も多い。 この前の東京マラソンでも芸能人やアナウンサーがこぞって参加したせいか、 マスコミも一日中、大騒ぎだった。 しかし、冷静に考えるとマラソンというものは、他のスポーツと比べると、 得てして奇妙な競技である。 何故ならば、そこには複雑なルールや込み入った展開があるわけではなく、 ただランナーが「走っている」姿があるだけだからだ。 サッカーや野球、またはバレーボールなど他にも視聴率が高い競技と比較すると、 劇的な盛り上がりも少ない。 それでもなお、見る者を惹きつけ、 心を熱くさせる「何か」がそこに存在しているようだ。 ただ「走る」という点において、共通するものといえば、 例えば、競馬や競輪、F1レースなどがある。 しかし、これらは同時に賭け事だったり、 人間が作ったメカニズムへの尊厳などが反映されていて、 「走る」という行為自体に、重点を置いているわけではないと思われる。 確かに、「走る」側の人間は、長い距離の間で、 『ランナーズハイ』というある種突き抜けた感覚のナチュラルハイな状態に入る。 つまり、脳内でモルヒネとよく似た物質が分泌される。 それはいわゆるセロトニンというリラックス成分だといわれているが、 とにかくコイツが分泌されることによって、 肉体の苦痛から開放され、まるで天国にでもいるような気分を味わうというわけである。 よく長時間のウォーキングやジョギングがストレス解消になるといわれるのも、 このセロトニンのせいである。 ちなみにセロトニンはウォーキングで30分以上、 ジョギングで20分で脳内から分泌されるらしい。 ストレスを解消したい方にはぜひお勧めしたい。 とはいえ、今回論じている点は「走る」側ではない。 「走る」姿を見る側の人の状態、である。 人が「走る」だけで、どうしてあんなにむやみに白熱できるのか? TVの前で解説者の声を除いて、ふと耳を澄ませば、 淡々と走るランナーの呼吸の音が響く。 どうやらこれが一つの原因かと考えた。 いわゆる「変成意識」というもの、だ。 「変成意識」とは、簡単に言えば、いわゆる催眠状態を表す。 ランナーの呼吸音がなにゆえ、催眠術と関係するのよ?というと、 「変成意識」に陥るには、相手と同じ呼吸音やしぐさに合わすことが大前提だからだ。 つまり、Aという人間がBという人間と同調するならば、 まずAはBと同じ呼吸数に合わし、 さらにしぐさや話し方を真似していく。 そうすることで、Bは自然とAの意識と同調していく…といった具合。 実は大抵の人間は日常のあらゆる場面で、 無意識にこういう半催眠状態に軽くかかっているのだという。 というのも「変成意識」に陥るのは、上記の方法以外にも沢山あるから。 恋愛なんてのもその一つだったりするんでしょうな。 とにかく、様々な疑問の中で、 一候補として浮かび上がった「変成意識」における影響の可能性。 ならば、「走る」人を見る者は皆して、半催眠状態にあるのだろうか? いやいや、そんなことよりも本当はもっと単純な理由なのかもしれない。 「走る」というシンプルな行為の中に、人間なら誰しも本能的に「共感」するのだろう。 車や電車や飛行機などの便利な交通手段がなかった頃、 人間は自分の足で、あらゆる場所へ移動した。 そして、それはそのまま「生きること」にも繋がっていたはずだ。 かつては一日中歩いたり、走ったりして、獲物や食物を探し回った時代があった。 そうして、今この瞬間よりもっと先へ進もうと、 一方通行の限りある時間さえも追いかけた。 文明が進化を遂げる今もなお私達は「走る」人の中に、 そうしたかつての名残を見るのかもしれない。 誰かに、何かに頼ることなく、 自らの足でコツコツと築き上げていく「生きる」道のりを。 「走る」こと。 それは絶えず利便性を追求するようになった現代に生きる私達が、 何か心の片隅で忘れかけていることをふと思い出すような、 柔らかい刺激に満たされるものなのか。 当然ながら、前へ進むには、「走る」ことが必要だ。 時には歩くこともあるけれど、 まだまだこの旅の先は長い。 光も闇も突っ切って、なりふり構わず転がり込んだ風景の向こう。 そこには何が見えるのだろう? それは、走り切ったあなたにしか見えない。 強い意志の下、きっと極上の宇宙(そら)が夢のまま広がる。 あなたの魂は絶えず肉体を走らせて、 今日も必死で探しているのだろう。 大丈夫、見つかるよ。 どんな不出来なレースにも、ゴールは必ずあるんだから。 さあ、行こう。 未だ見ぬ大勢の歓声が鳴り響く、まぶしい未来の方へ。 眠った意識よ、今走り出せ。 Trackback List
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