2008.07.24(Thu)
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2007.11.04(Sun)
『人間の運命よ』
◆人間の運命よ。 お前はなんと風に似ていることか。 【 ゲーテ 】 ◆運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する。 【 ショーペンハウエル 】 ◆運命のなかに偶然はない。 人間はある運命に出会う以前に、自分がそれを作っているのだ。 【 ウィルソン 】 ◆運命をあざ笑うものが幸運を手に入れるだろう。 【 ベンジャミン・ディストレイ 】 ◆運命は花崗岩より堅固だが、人間の良心は運命より堅固である。 【 ユーゴー 】 ◆人は、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命にであう。 【 ラ・フォンテーヌ 】 ◆人生とは、運命がなみなみと注がれている盃である。 【 ブラックロック 】 前回のブログを書き終えて、内容を見直している時、不意にモヤモヤと頭にもたげたことがあった。 えらそうに、人間に科せられた運命を語ってみたものの・・・ そもそも誰が名ずけたか「運命」というものは一体なんぞや? ここにきて純粋にぶち当たって、そして真剣に考えた。 加えて、今日古い友人のブログを閲覧して、ますます思索を練る羽目に陥った。 恐らく、前回の私のブログに対する答えなのだろう。 自らの結婚について、静かに語っていた。 最初は決して終わることのない永遠の楽園に二人寄り添い生きていく誓いを立て、この世で固く縁を結び、喜びを分かち合った。しかし今や日を増すごとに色褪せゆく幸福のほころびを互いに認め、とうに朽ちた夢の淵からも完全に目覚めてしまった。 そして、今はただ夫婦となった二人の愛が産み落とした、何物にも変えがたい奇跡の結晶でもある子供のためを想い、なんとなく習慣としての生活を共にする。 もはや、二人の間に恋愛という文字は存在しないのだ、と。 なにやら、どこかで繰り返し聞いてきたようなお話。 現代社会の闇をあぶりだしたら、どこの家庭にも浮かび上がってきた深刻な地獄絵図。 今世紀最大の課題でもある”魂の癒し”が世間で流行する原因の一つでもある。 この男女間のどうしようもなく埋められない溝を、まだ世間を知らない頃の幼い私に必死で解からせようと試みた最初の人間は、母親だった。 物心ついた時から、母はよく泣いていた。 理由は複雑すぎて、長くなるのでここではあえて話はしない。 だが、私が受けた不快な苦悩は18歳で実家を飛び出すまで、毎日の日課だった。 「お母さんはね、あんた達のために我慢して生きているんだから。 あんた達がいなけりゃ、こんな家、とっくに出ていってるわよ」 じゃあ、出て行けば? 当時は何度口に出そうかと思い悩んだものである。 勿論、母親の幸せを願う気持ちからだったが、子供の自分が意見を言える立場ではないとあきらめてしまっていた。 しかし、現在も相変わらず同じことを愚痴っている母親に対して、今は躊躇なくすんなりと言える。 自分が大人になって、人間として対等に物事を見れるようになったからだ。 すると、母親は決まってこう答える。 「そんなこといわれても、今お母さんが出ていったら、お父さん、生きていけないもの。 そりゃ、もうあの人との間にはドラマのような恋愛はないけれど、だからといって、あんたが言うようにそんな簡単に別れられないもんよ。まったく、あんたは昔からクールというか、何を考えてるのかわからんというか、冷たい子だね〜。本当に私の生んだ子かしら?」 それは、あなたがいつも自分の話に夢中で、私の話を聞かないからでしょうに。 ずいぶんな言い草である。とばっちりは決まって、最後に私に回ってくる。 いつものことなので、いい加減、ムダな反論は止めて無視をする。 そしたら、また始まる。 「お母さんはね・・・」 怒涛の愚痴大会エンドレス。そのエネルギー、他で使ったほうがいいよ、お母様。 あなたの人生、きっと変わってたわ。 なんていうかさ、(毎度のごとく、言い聞かせてるけど) 期待しすぎてるんじゃないの。 期待するってことはさ、相手を自分の理想の枠にはめるってことで、 枠にはめたらさ、そこから相手が逃げ出さないようにずっと見張ってなきゃなんないし、 そうなると、相手も身動きできなくて、結局、二人とも不自由になる。 人間はさ、どうしようもなく死ぬまで自由に生きようとする動物でしょ? 誰だって、その本能にあらがえないんだから。 それに実はもうずっと前から、母が欲しがっていた答えはちゃんと自分で出してしまってるじゃないの。 “父とは趣味も考え方も全然合わなくて、一緒にいてもつまらない。別れたいけど、心配で離れられない・・・” あのさ、どう考えても、それって、愛じゃね? 生涯、片時も離れず、喜びと苦難を共に味わって、なんとか今日まで生きてきて。 つまるところ、運命の人って・・・ 派手な出会い方をしようが、劇的で波乱万丈な一生を送ろうが、地味に平凡な結婚をしようが、死ぬときに初めて判るんじゃなくて? そして、運命の相手とは、どんな状況下に置かれても、いつだって互いに変化していける関係を持てるということではないだろうか? 臨機応変な関係性。 一緒にいる時間の中で呼吸を合わせられるから、そばにいる。 その関係を長い間繰り返すうちに、気がつけば人生の大半、同じ景色を眺めていた。 それが運命の愛というものの正体の一面か? しかし、ゲーテさん。運命とは風だなんて、やっぱり詩人はいうことが違うね。 幾世代に渡って、世界中の大勢の人間が共感したように、私もあなたの意見に賛同します。 運命が風なら、私達は風見鶏。 右を向けば追い風が、左を向けば向かい風に遭いながら。 突風が吹いた後に、やってくるのは優しいそよ風。 上手く風に乗ろうとして、手足をバタバタ四苦八苦。 苦しみはやがて喜びに変わるから、決してあきらめず、けなげに前を向いて。 今日も明日もあさっても。 運命という名の風を泳ぐ。 Trackback List
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